なんで学校は学問をあんなにつまらなく出来るのか

学問の「うまみ」が分からない学校の授業

例えば数学なら数学史上の歴史的な問題や転換点に面白さがあります。ピタゴラスが無理数の解釈に難儀したことや、デカルトが座標系を生み出した後に大きく物理学が進展したこと、当然フェルマーの最終定理のような現代的な数学の発展に寄与した問題も面白いです。

数学は始め信仰でした。数秘術と言う数そのものに意味を見出し占う術もあったようです。ピタゴラス教団という古代ギリシャの数学者団体は紛れもなく宗教団体でしたし、神秘的だからこそ研究の対象とされてきました。

彼らの主張するところによれば、世界は完全に論理立っているそうです。物理学の発展した今であればそれは科学的に裏付けられた主張となるのでしょうが、当時それは神話と同等の信仰でしかありませんでした。

歴史的な数学者や物理学者の多くは哲学や神学を学んでいます。特に完全に論理立った法則としての神を語る合理主義哲学はあのアインシュタインにも支持されています。彼は量子力学を「神はサイコロ遊びをしない」と批判しましたが、論理的に動いているこの世界への畏怖の念が感じられます。

さて、なぜ日本は文系と理系を分けるのでしょうか。理系の学問がどのような道程を辿ってきたかを知るためには人文学は必須だと思っています。人文学があって始めて数学の美しさが分かりますし物理学の美しさが分かるのだと思います。

学歴社会を回す道具にするのはやめてほしい

学問は学歴社会という一種の信仰に基づく社会のための道具へと成り下がりました。必死に勉強という苦行に絶えていれば幸せになれます、という崩壊した教えを幼少期から叩き込むための道具へと成り下がりました。本当は本当に面白いものなのにそれに気づく人はごく少数です。悲しいですね。

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